あまり時間が無いかもしれない。

この日記は、見性を探索する目的で作ったのだが、プライベートな悩みも吐露しているため
他者との交流は避けてきた。


逡巡をそのまま載せているため、他者に向けた言葉でもなし
読む側としては非常に中途半端だと思う。


そこで、限られた時間しか持たない一人の人間として、外に言葉を投げるときは
きちんと読み手を想定し、伝達率を高めた形で発信することにした。


見性とはフィジカルな経験と言った人がいて、おそれながら
その端緒が掴めた様な気がするからだ。


どこでやるかは決めていない。
独善に陥らないためにも、外部との交流を通じて確かめて生きたい。


いまの私の見性への理解を言葉にしておくと、
すべては借りものだ。