やっとこれかなと実感できたことがある。それは至極単純なことで、何かが在るには何かが在るということ。夜中寝ていても、外から聞こえるヒュオオオオン(線路を走る音)という音があって電車だなとわかる。このヒュオオオンが在るには電車が在る。音を伝える空気が在る。音を受け止める耳が在る。とにかく何かが在る。そしてその何かも、それが在るには何かが在る。電車が在るには何かが在る。空気が在るには何かが在る。耳が在るには何かが在る。さらにその何かがあるには何かが在る、と延々と繋がっていく。(何かが在るには何かが在るというのは、一対一の関係というわけではなくて、何かが在るには何かと何かと何かが在る(在った)という風に言った方が正確かもしれない。)

 この文章が在るのも、何かが在ったわけであって何も無いところから突然浮き出てきてはいない。自分の感情も実感としては何も無いところから湧き出てくるような感じがするが、実際には何かが在って生じている。この在り様をしばらく観てみようと思う。