2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

断絶の無い、連続した一体がこの世界なのか

昨日、書き上げた封書を投函すべく玄関から外に出た時に感じたこと。 辺りは夕闇が訪れ、まだかすかに残る空の青さと、夜を照らす照明が 絶妙な混じり具合で美しい光景を描いていた。 何気なく空を見上げると、私は煌々と輝く月を見た。 先程までその存在す…

自己と宇宙という分別を超えて

自己の主体性の殻の向こうに、宇宙と私とが不二である境地が透けて見える気がする。

この世界への遺言としての日常

私達は死に向かって歩いている。どんな安らぎもどんな満足も仮宿にすぎない。終の宿に腰をおろし、死の淵に足をつっこんで只今を振り返ってみると景色が違って見えてくる。 日常のひとつひとつの行為は、あたかも雪道を走る馬車が残していく轍のように、この…

進化、あるいは変化は受動的か

大学の入学試験準備のアルバイトが山場を終え一段落し、久しぶりの連休を過ごしている。こうしてblogを綴っているのは、他の誰でもない自分のために続けているんだと再確認しながらキーボードを鳴らす。テレビの自然ドキュメンタリーでハンマーオーキッドと…

外側のさらにその向こう

けむりんblogで度々登場する外側を意識しろという言葉。これを宇宙に適用するとどう展開できるか。広大な宇宙に外側があるとすれば、その外側もさらなる外側に包まれているはずであり、無限の入れ子構造になってしまう。そこで、外側・内側という相寄り添う…

旧けむりんblogの過去ログを読み返している。以前は汲み取りきれなかった意味が多分に含まれており、新鮮な気持ちで向かい合っている。普遍的な言葉には賞味期限などないとけむりんが説いたように、じっくり味わうことにする。

あるがままに現実を受け入れること

デール・カーネギーの著書「道は開ける」には、不可避または不可抗力の困難に対して、樫のように抵抗するのではなく柳のように身を曲げる方法を学べとある。苦境に立たされた場合、できることをできるだけ実行し最善を尽くせば、あとはその結果をそのまま受…

大きな顔の私

私は顔と頭がかなり大きい。道を歩いているだけでアカの他人に笑われるって経験が毎日のようにある人はそうそういないだろう。誰もが二度見三度見するほどビックフェイスなのである。池袋や高田馬場あたりでそんな人物を見かけたらたぶん私だ。 そんな私でも…