自分の心に嘘を付かないということ

昨日の深夜1時ごろだったか、カラスが一匹「カァ」と鳴いた。
真夜中に鳴くとは珍しいこともあるものだと、ウトウトしながらベッドに横たわる。


しばらくして今度は、誰かが窓のようなものを閉める音がした。
心地よく響いたその何気ない生活音は、宇宙を切り裂き、
私という幻想の殻にほんの小さな穴をあけ、私の中に宇宙の流入を促した。


恍惚感、快感、安心(あんじん)とでも言おうか。
手塚治虫火の鳥の中で宇宙生命とよんだもの、けむりんが見性あるいは
正定聚と示していたもの、それらに初めて正面からミートしたような体験。


カスるような体験はこれまで度々あったが、それには理由があった。
自分の心中に沸き起こる感情や思考をなるべくシンプルにし、
冷徹な目で観察と洞察を繰り返すアプローチ。
それこそ見性に至る道と決めつけていたのだが、間違いであった。


自分の心中に沸き起こる感情や思考をそのまま見つめ、
好ましい・望ましくないといった区別をせず、
周囲にある他者や自然を見つめるように、なぜそうあるか
観察と洞察を繰り返す。そうやって
意識で捉えられるあらゆるものの”底”を探っているうちに、その”底”が抜けた。


実際には、意図してアプローチを変えたわけではなく、生きづらい社会でどう適応(生存)するか
工夫していた中での予期せぬ体験だった。


先人であるけむりんは「自分の心に嘘をつかないことが肝要」と語っていた。
不要な感情、望ましくない思考といった枷を自らの心に押し付けていた私は、嘘をつき続けていたのだろう。

ある感覚


ある身体感覚について書いている。(厳密に言えば身体感覚という表現も誤りなのだけれども)
薬物の常用も服用もしておらず、調べてみた範囲で精神疾患の症状にも当てはまらないので
妄想や幻覚である可能性はおそらく低い。
ただ、私個人の見解であり独善的である可能性は多々残されている。


あくまで届けたいのは感覚。
なので、字面だけ見てつまんないなぁとせずに、
どういった感覚を言わんとしているか、紙背を見通してもらえればうれしく思う。

当blogの記事は、この感覚を得るまでに試行錯誤した過程であるので、他の記事は全部無視してもらってかまわない。
記事の日付が未来になっているのは先頭に表示するためで、折を見て表現などを修正するかもしれない。
言葉で言って受け渡すことはできない、けれど唯一私が抱える伝える価値のあるものだから、時間をかけて少しずつ改定していく。

11/8/8 一部修正
2017/06/26 認識の更新によりトップから外した

以下、草稿--

続きを読む

AR(拡張現実)が人の脆弱性を塞げればいいな

 Black Eyed Peasの新曲「The Time (Dirty Bit)」ではプロモーションビデオにAR表現が使われている。

メガネ型、コンタクト型、裸眼型のARが実現するような社会になれば
容姿偏重を上書き解決できちゃったりして。

あまり時間が無いかもしれない。

この日記は、見性を探索する目的で作ったのだが、プライベートな悩みも吐露しているため
他者との交流は避けてきた。


逡巡をそのまま載せているため、他者に向けた言葉でもなし
読む側としては非常に中途半端だと思う。


そこで、限られた時間しか持たない一人の人間として、外に言葉を投げるときは
きちんと読み手を想定し、伝達率を高めた形で発信することにした。


見性とはフィジカルな経験と言った人がいて、おそれながら
その端緒が掴めた様な気がするからだ。


どこでやるかは決めていない。
独善に陥らないためにも、外部との交流を通じて確かめて生きたい。


いまの私の見性への理解を言葉にしておくと、
すべては借りものだ。

あずかり知らぬものの浸透

ままならぬ感情を抱えた折に、ままならぬ他が自に流入する。書くという行為はどうしても自が立ち上がってくるので、純粋にそれを取り出して見せる事は出来ないが、生きていく上でまたひとつ生き易くなった。

生存を図るための受動的な変化も、後から顧みれば進化と呼べるのかもしれない

大手民放ラジオ局が足並みを揃え、3月からインターネット上で同時放送を始めるとの報道があった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100210/212732


著作権上の問題からリアルタイムでのストリーミング配信が叶わず、閉塞感を漂わせていたラジオ。聴取者と広告費の減少という外圧を受け、先細りの保守的な構造に風穴を開けることにしたようだ。


現時点で、私の目には概ね好ましいように映るが、この一石がどのような紋様を描くか。配信方式はAdobe Flash形式との事で、おそらく余分なプラグインも必要ない。かつてYoutubeがそうであったように、聴取の敷居は低く設定されている。


単純に考えて、聴覚に訴えるラジオは、視覚的な操作が大半を占めるブラウジングと親和性がそうだ。
実際のところは、いかなる質感をもたらしてくれるのだろうか。


追記:タイトルの漢字を訂正。