2007-01-01から1年間の記事一覧

遠く離れた海底でカニがほっつき歩いているから、今日の晩飯はカレー

あなたに執着しているものはあるか。 わたしにはある。たくさんある。 執着するのは苦しいものだ。逃れたい逃れたいと思っていても それをひっくり返すような荒波が執着を生み出す。 いわゆる煩悩に苦しむ状態といえるのかもしれない。 沢庵和尚の有心無心で…

無分別

最近、馴染みの道を歩いていると やけに視野が明るく空が大きく見えることがある。 つい先日まで太陽の日差しをいっぱいに含んで煌いていた公孫樹の葉に代わり、 このクソ寒い中どこか愉しげに合唱しているかのような小枝達が あきれるほどあっけらかんと冬…

自他の対立の消え去るところ或いは真に釣り合う美しい時

犬の散歩に公園へ。 宵闇の公園には無数の落ち葉が佇んでいる。 何の変哲も無い、秋の光景。 当たり前と言えば当たり前。 その当たり前に至る流れを聞くことが出来たのなら バラバラであったピース達は整合性を持って存在感を示しだす。 分厚い分厚い壁に開…

見ているものと、目にみえないもの

40歳を迎えてなお現役で活躍するケニー・ロフトン。 現在クリーブランド・インディアンズに所属している。 屈強なメジャーリーガー達の中で 存在感を尚も発揮し続ける彼の姿には 肯定的な影響力のあり方を考えさせられた。 フィールドに彼が立っているとい…

死別

NHKで放映されていたアニメーション作品電脳コイルの最終回を見た。 アニメーションはあまり視聴するほうではないのだけれど ネット上での評判が良いので、気になっていた。 映画版攻殻機動隊のような珠玉の作品だったら 見逃しは最悪だぜと意気込んでテレビ…

レディ・メイド的な、あまりにレディ・メイド的な

京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授のチームが 万能細胞を作り出すことに成功したと発表した。 専門的な知識など無い私でもその業績の偉大さが感ぜられる ほどであるから、国を挙げた大騒ぎになっている。 事此処に至るまでにどれ程の膨大なステップが…

無制限の制限

アジアチャンピオンズリーグで浦和レッドダイヤモンズが優勝。 あの弱小チームがリーグ代表、さらにはアジアの頂点にまで登りつめるとは 未来などわからないものですね。 そんな昨今 ドーハの悲劇をリアルタイムで観ていた事もあり、日本代表に関心を払って…

ネバネバ ネバネバ

この世界を関係の連鎖として捉える世界観がある。 映画「攻殻機動隊」では人形遣いが語ったものであり、 仏教では因陀羅網の比喩として語られるものである。 脳の構造やインターネットの構造もネットワークの集合であるとするならば その世界観により想定さ…

映画「グッドシェパード」を観た。 監督はロバート・デ・ニーロ。祖国及びCIAと家族の狭間で 主人公は二律背反的に引き裂かれる。エリート中のエリートが 登りつめた末に観たものは 着地点の見えない悲劇。事実に基づいたとはいえ、多少の脚色は 施されてい…

朝起きると虫になってたりする

ハンドルネームもブログも変えまーす http://hikkyomu.blogspot.com/

やっとこれかなと実感できたことがある。それは至極単純なことで、何かが在るには何かが在るということ。夜中寝ていても、外から聞こえるヒュオオオオン(線路を走る音)という音があって電車だなとわかる。このヒュオオオンが在るには電車が在る。音を伝え…

先日、最寄り駅の路線を下り終点近くまで列車が差し掛かったところで河が見えた。思い切って乗り越した運賃を支払い河原まで下り半日ほど河を眺め続けた。あれこれ思案すれど、また初めて見る景色といえど、目に映る景色には大差が無い。全てはディスクだと…

目の前の現実とは何か、どう理解するか

一番理解不能で訳の分からない問題は目の前に広がる現実だ。まったくもってわけがわからない。日常的に利用するコップや机やパソコンといった人が意識するものから、洋服の細かなシワやうっすらと堆積する細かい埃といった人が普段はまず意識しないものまで…

本人確認

振込みをしようと郵便局に赴いたら本人確認が必要とのこと。自分の免許証は持っていたのだけれど、振込み名義人が違うのでアウト。やっぱしダメかw

映画ディープインパクトを観てちょっと泣いちゃったぞこの野郎

CG全開で大味の映画だと期待せずに観たから、余計にいい映画に感じた。死を間近にリアルに感じとった時、人々は残された時をどのように生きるのか。それは、映画の中のどこか遠い世界で起きていることではなく、時間の長短の違いだけで、私も彼らと同じ状況…

自己は大きな海の連続性の只中にいるのかもしれない

朝起きると、宇多田ヒカルのFlavor Of Loveのメロディが聞こえてきた。宇多田ヒカルの手元にしかなかった楽曲の影響力は、公にすることで、波のように果てることなく拡がっていく。海としてひとつに繋がっているから、私のもとにもこの波は届く。 あるものが…

断絶の無い、連続した一体がこの世界なのか

昨日、書き上げた封書を投函すべく玄関から外に出た時に感じたこと。 辺りは夕闇が訪れ、まだかすかに残る空の青さと、夜を照らす照明が 絶妙な混じり具合で美しい光景を描いていた。 何気なく空を見上げると、私は煌々と輝く月を見た。 先程までその存在す…

自己と宇宙という分別を超えて

自己の主体性の殻の向こうに、宇宙と私とが不二である境地が透けて見える気がする。

この世界への遺言としての日常

私達は死に向かって歩いている。どんな安らぎもどんな満足も仮宿にすぎない。終の宿に腰をおろし、死の淵に足をつっこんで只今を振り返ってみると景色が違って見えてくる。 日常のひとつひとつの行為は、あたかも雪道を走る馬車が残していく轍のように、この…

進化、あるいは変化は受動的か

大学の入学試験準備のアルバイトが山場を終え一段落し、久しぶりの連休を過ごしている。こうしてblogを綴っているのは、他の誰でもない自分のために続けているんだと再確認しながらキーボードを鳴らす。テレビの自然ドキュメンタリーでハンマーオーキッドと…

外側のさらにその向こう

けむりんblogで度々登場する外側を意識しろという言葉。これを宇宙に適用するとどう展開できるか。広大な宇宙に外側があるとすれば、その外側もさらなる外側に包まれているはずであり、無限の入れ子構造になってしまう。そこで、外側・内側という相寄り添う…

旧けむりんblogの過去ログを読み返している。以前は汲み取りきれなかった意味が多分に含まれており、新鮮な気持ちで向かい合っている。普遍的な言葉には賞味期限などないとけむりんが説いたように、じっくり味わうことにする。

あるがままに現実を受け入れること

デール・カーネギーの著書「道は開ける」には、不可避または不可抗力の困難に対して、樫のように抵抗するのではなく柳のように身を曲げる方法を学べとある。苦境に立たされた場合、できることをできるだけ実行し最善を尽くせば、あとはその結果をそのまま受…

大きな顔の私

私は顔と頭がかなり大きい。道を歩いているだけでアカの他人に笑われるって経験が毎日のようにある人はそうそういないだろう。誰もが二度見三度見するほどビックフェイスなのである。池袋や高田馬場あたりでそんな人物を見かけたらたぶん私だ。 そんな私でも…

謹賀新年

先日のニューヨークタイムズスクウェアライブカメラは年越し用にロケーションを変更している模様。こちらから直接見るか、http://www.earthcam.com/panasonic/にアクセスすると年越しの様子が見られます。