2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧
「奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録」を読んだ。そういえば、訳の分からん変な生き物がうごめいていた土、それを穿り返していた頃から随分と時間がたっていた。今では手が汚れるからあまり触りたがらないという都会の普通人になって…
人間的時間 - 内田樹の研究室 je pense, donc ça se pense - 内田樹の研究室 壁と卵(つづき) - 内田樹の研究室 こんなに凄いエントリをさらさらと書けてしまうなんて凄いなあ。それに、リアルタイムに簡単に手にして読めるなんて、便利な世の中だなあ。イ…
雨が降っていた。ところによっては雪だったそうだ。辺り一面に降り注ぐ。
知らなかったことすら知らなかった街並み、そしてそこで日常を送っている人々。歓喜とも畏敬ともつかない、心が洗われるような気持ち。取るに足らないことなんてないかな。
久しぶりに快速に乗る機会があった。普段はひとつひとつ停車していく各駅各駅をのびやかに走り抜けていく。ホームと車両の隙間は約10センチ。ほんの束の間、猛スピードで突き進む鉄塊とゆったりとしたプラットホームが混ざり合う。 テンポやリズムは違うかも…
中田ヤスタカ作詞作曲編曲 SMAP ココロパズルリズム 初見では特に印象がなかったのに、今日聞いたらなんだか泣けた。 意味など求める必要はなかった。ただ私たちはみんなで踊ればいいのだ。
たくさんの人々が町を行き交う。あたりまえのように町を行き交う。それぞれの人はかけがえの無いひとつの生を抱えている。序列のつけようも無い色を纏っている。
たとえば容姿ひとつにしてもその人が望んでその姿に生まれてきたのか。運動能力や頭の回転の早さや性格の云々や。渡されたものをまず受け取ることからはじめる必要がある。
理不尽なことはたくさんある。直接それを正すことが出来れば一番いい。だが与えられたリソースを全てそれに当てることは出来ない。 限られたリソース内で有効打を打つには。極端に言えば座して死を待つことになろうとも、理不尽にfeedするような生き方はしな…
中学生の頃、音楽や映画に失恋の痛みみたいな描写があると「フーンそんなにつらくないだろ」と紗に構えてみていたものだった。だが実際に高校・大学と思春期に恋人との失恋が訪れると、その感触は想像をはるかに超えていた。 理性的にどう制御しようとしても…
今日もこうして生き延びていることにありがたく思う。それは特定の何かに向かって感謝するというよりも、生物の性として死にたくない思いがあり、それが実現されて素直に良かったなという感じ。 生き残る上でのテクニックとしては。思考をオンオフすること。…
話題になったマッシュアップ二作品。時系列としては二番目の作品が先だが、一番目の作品から入った私にはそのインパクトが焼き付いている。 本来なら画面上をスクロールするコメントをオフにした動画のほうが印象深い。 吉幾三×Capsule×DaftPunk×BeastieBoys…
特に最近のこのブログは誰に読ませるという想定はあまりしてこなかった。試行錯誤や苦渋苦悩の過程を公開しておけば、将来誰かが何かをサルベージするかもという小さな淡い思いはある。だが、自分が感じたことをその時点で形にして書き連ねているだけなので…
自分のために書くとは、苦しい生をどう生き延びるのか苦闘するということでもある。主張のような文体で日記を綴ることもあるが、ほとんど自分への鼓舞に近い。勝手な感情ながら自分であることの苦しさを抱える人には共感を抱くし、一人で立ち向かう姿に自分…
美禰子に翻弄される三四郎のように、先頃の麗らかさが忘れ難い。日向を見つけてはちょこちょことその中を歩き、少しでもあの温もりの感触を思い出そうとする。 以前まではさして注意を惹かれなかったが、世界は音楽だという表現がこの頃とても気になるように…
バレエダンサーや歌舞伎役者、プロスポーツ選手など晴れの舞台で活躍する人々は、顔色一つ変えず当たり前のように妙技を披露する。伸るか反るか勝負する風の鬼気迫った雰囲気は感じさせず、ブレも無い。 おそらくそこでは既に勝負が決しているのだろう。晴れ…
昨日のエントリーのように考えながらの執筆だとどうも明後日のほうに行ってしまう。私にとって思考はどうしても停止という性質を伴うから、考えれば考える程動的な現実と徐々にズレていく。波の上でバランスを保つサーファーのような、姿勢制御に気を配り宇…
我々は普段限定された文脈で物事を捉えている。東京、日本、アメリカ、宗教、人種、家庭、恋人、友人、アカデミック、ビジネス、プライベート、多様にカテゴライズしていく。ただ実際は、それら一切が一人の人間が把握できる範囲を超えて並存している。考え…
街は春のような麗らかさに満ちていた。行き交う人々もみな、心倣しか穏やかな表情をしていた。太陽は熱をくれる。人間的な区別を超えて熱は伝導していく。
お気に入りの人気ブログを読んでいると、更新あたりの分量が多く内容にブレが少ない。「考え付いてから書くよりも、まず書き出せば何を考えているかわかる」彼らはそれを実践する手が先に動く人々なのかもしれぬ。材料をあらかた準備してから、読み手の距離…
『イスラーム文化 その根底にあるもの』を読了した。中東情勢に関するニュースが主体性をもって迫ってくる。一冊の教養書を読むこと、一着の新しい服を着ること、それだけでもう別人なんだろう。更新可能性に胸をときめかせる。
時の流れに沿って考えるなら、生きるとはひたすら足し合わせていくことである。ブロック状のものを積分のようにつなぎ合わせていくのではなく、煮立った鍋に次々と調味料や具材を投入していくようなイメージ。一度入れてしまうと後戻りは出来ない。しかも部…
初対面というのはある意味で奇跡的な現象である。お互いにかけがえの無い生を抱えて、その瞬間まで長い道程を歩んできたのだ。 もちろんそれは人に限らず。ということでコンビニで買ってきた納豆をありがたく食すのである。 もぐもぐと咀嚼しながら考える。 …
自戒のためにたびたび記しておきたいのは、いまどうするかがすべてということ。過去を後悔のフレーバーをもって思い返したり、未来にわたって直面していく苦難を想像してげんなりしないこと。いま成すひとつの呼吸、ひとつの歩み、ひとつの姿勢こそすべてだ…
『イスラーム文化 その根底にあるもの』を引き続き読んでいる。 私個人で見れば手持ちの材料に乏しく料理のレパートリーが狭いことは否めない。料理の味わい方が見えつつあるいま、このような厳しい評価を経て吟味された食材が安価で手に入ることは何よりあ…
何か思い出があるわけではない。だが大勢の人々が行き交う新宿は独特の感慨をもたらす。誰もを飲み込んで相対化してしまうような迫力がある。ただ歩いているだけで海の中を遊泳しているような流動感がある。有限性に溜息をつくよりも、息を呑むようなありさ…
滋味のある言葉というのがある。 受け手である私の解釈だが、 そういった言葉の数々は諦観や情熱の入り混じったような独特の色をしている。 運命を引き受けて超人のように歩む人々。 shrinkとは正反対のexpandしていくような生き方。 そこから紡ぎ出される言…
小林秀雄は「無常といふ事」で 「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」 と述べた。 過去を思い返すとき、 時間軸に沿った線分の形で思い起こす。 だが今はどうも線分ではない。 そうすると 過去のその時も線分という感触ではなか…
未だ原典を読んではいないので推測も含まれるが ホワイトヘッドの有機体哲学や華厳のインドラ網を 要素とその関係のあり方だと受け取れば、 述語的な理解とは異なってくる。 有限とはいえある程度独立した要素を前提にすると どうしても頭だけの理解であって…
何をして何をしなかったのか どのようにあってどのようにはないのか。 何を言って何を言わず 何を考え何を考えないのか。 それがまさしくその人である。 人に限らない。 半ば無自覚的に、「それ」についた名称として 自己完結していると理解しがちな「それ」…