2008-01-01から1年間の記事一覧

述語

「『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか」を読んでいて自分なりにちょっとした補足。 「飛ぶ」ことにより、空と鳥が生まれる。あらかじめ存在する空を鳥が飛ぶのではない。鎌田茂男の著作にも南直哉が眼蔵の読みとして語るこのような述語の世界が…

言語的思惟の死角と日常の実践にはどういった結びつきがあったのか

すべては内部であると言うだけでは不十分ですべては外部であると言わなければならないとか、あらゆるフェーズで完全にコントローラブルなものというのは幻想であろうとかごちゃごちゃ書こうと思っていたのだけれど、 南 直哉の「『正法眼蔵』を読む 存在する…

親しみの延長線上にあるもの

空港のそわそわするような、どこかウキウキするような独特の雰囲気は 多種多様な人々が異なる事情や背景を背負って一ヶ所に集まってくる場所に 特有のものなのかもしれない。 そんな羽田空港のロビーには眩暈がするほど人が溢れている。 みな当たり前のよう…

言葉にするのはもったいない

NHKのサイボーグについて取材した番組で、 ある実験の被験者となった立花隆は 何かを言いたい気持ちが胸の中に渦巻いているにもかかわらず どう表現して良いかわからないという趣旨の感想を述べていた。 その実験は立花隆の右手に針の電極を刺し 電極の先に…

脈々とバトンされる表現

赤塚不二夫葬儀での森田一義の弔辞のなかで 次のように述べられている。 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を…

影響

宮崎駿を特集したプロフェッショナル仕事の流儀は 印象深いシーンが随所にあった。 一度見ただけなので正確ではないかもしれんけども 生まれてこなければという葛藤や、 自分たちの奥底にあるものがひょこっと顔を出すという話、 論理ならいくらでもかけるが…

avant et après

たまにはあまり成績の芳しくなかったフランス語も使ってみる。 たしか小林秀雄の短編集で述べられていたように思うが かつてavantとaprèsは時間的に逆の使われ方をしていたそうである。 未来が前で、過去が後というふうに。 味わい深いエピソード。 見性って…

戦う吟遊詩人

ポップな話題をひとつ。 先日27時間テレビで久々にビートたけしが生出演していた。 数十分前の中継を前フリとして、 二度目の中継で船へと渡りきるたけし。 途端にバランスを崩して画面奥の海へと消える。 日本語なんてわからなくても、 誰でも噴出してしま…

見性ってなんぞや

このblogを始めた理由のひとつは禅の見性とはなんぞやという探求であった。 只今の私の考えでは、学問的知識の多寡の関連性は薄い。 しかしだからといってそれを軽んじるわけでもない。 学問的知識を含め、つまらぬものなどあるわけがない。 偉人の残した数…

絶望的な断絶を超えて

三軒先の住人の顔も良くわからない現代の東京は、バラバラに分裂して個々人が生活している。 他人は、それぞれかけがえのない人生を生きる生々しい存在であるにもかかわらず、どこか無機質な存在として遠い距離感にある。 多様性を認めつつも孤立化し、「そ…

私が気づいていなくとも、壁の向こうにも景色はある

昨日のNHK「とっておき世界遺産」は火山がテーマ。キラウェア火山、イエローストン国立公園、カムチャッカ火山群の紹介をしていた。江守徹のナレーションと久石譲のテーマ曲がマッチした「シリーズ世界遺産100」が好きな私としては、その流れを汲むこの番組…

まずは自分のために

支障なくスムースに生きていけるのならそれだけで充分である。問題は重大な困難に直面し、それが社会で流通する一般的な論理で回収しきれない場合である。生と死の狭間を揺れ動くような葛藤は、世界とは何か、私とは何か、何のために生きているのかといった…

おととい感じたあるクオリアについての記録

クラッチを切りエンジンだけを回転させ空ぶかしをするきらいがある私は、同じくクラッチを切ってエンジンブレーキを効かせず惰性で車を滑らせてみることにした。日常生活ではクラッチをつなぎ回転を均衡させている両者を、それぞれだけで回転させたらどうな…

いたちごっこ

ありのままに見るを求めることに囚われると、 ガチガチの今に固執してしまうような気がする。

川は別々の流れだが、やがて海へ出る。そこでひとつになって、雲にわかれる。 ちぎれ雲もいれば、入道雲もいる。適当なところで雨になって山なんかに注ぐ。 小さな小さな弱弱しい流れはやがてひとつの川になる。 人の人生も川のごとく。死という到着点、着地…

コントラスト

ありのままに見るには、むしろ思考に専心し精神的に引きこもり外部に背を向け、一度くらいは極度に自己循環する必要があるのかもしれない。考えに考え考え抜いてそれ以外なくなっていくような境地。何らかのきっかけでそこから脱出するときに、ありのままの…

生きた具体的な現実

私は意識の志向性に悩まされてきた。専門的な見識があるわけでもなく 適切な表現ではないかもしれないが、ここで志向性とはカメラのピントのような 意味合いだと理解している。 対象が目の前にあるか頭の中か或いは具体的か抽象的かを問わず、意識がそれに …

ありのまま

未だ道中であるが、ありのままについて。 先に述べたような志向性を踏まえると、ありのままを換言して 志向性を一切排した状態、或いは全方位に向けて志向性を 向ける状態と言えるかもしれない。 心を捕らえるような出来事や物事は日常大小さまざま起こる。 …

不思議

時の流れは不思議だ。 5分後であろうと50年後であろうと、 未来は茫洋たる予感の向こうにある。 しかし実際にその時が訪れると、 圧倒的に精緻で、生々しい現実が現れる。 そして今度は、未来を予感していた過去が 霧の彼方へと遠ざかってゆく。 花も不思議…

苦しむ人へ

今これを書いている私には、いつになるかどこのだれかも わからないが、もしこれを読んでいるあなたが 肉体的に又は精神的に追い詰められ 命の際にあるほど苦しみ、半ばそれを諦めかけているなら 拙いものだがこの文章を読んで、今は苦しいとしか思えないで…

いったん書いてはみたものの、どうしても納得がいかないため、 下記の文章は削除しておく。

あらゆるものが指し示す何か

星新一のようこそ地球さんを読んでいた時の事。 不意にぼんやりとカーンカーンと聞こえた。 聞きなれているはずのその音の重大な意味に なぜいままで気がつかなかったのだろう。 普段ならば遠くで踏切が鳴っているだけだと気にも留めないが、 何かに気がつい…

行く末は決まっており、問題はどこにでなくどう行くか

無風の中では容易く出来ることも、逆風が吹けば困難になる。 逆風の只中での思いは、無風になると薄らいでしまう。 順風逆風無風、いずれの風でもぶれない事。一朝一夕では成し得ない。 朝鍛夕錬の必要がある。 その朝鍛夕錬を支えるものがあるとすれば、お…

かけら

私たちは欠片でできている。 さまざまな人々と行き交い、さまざな場面と向き合っていく中で ほんの小さな欠片を少しずつ受け取ってゆく また同時に、同じくらい小さな小さな掛け替えのない欠片を 触れ合ったもののなかに残してゆく。 欠片の形も色も材質も千…

自戒のために

「この一日の身命は、尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり」 私は自らの行いを無邪気に過信する傾向がある。 ずっと気になっていた坂東玉三郎の「天が見ている」という言葉と併せて 折に触れて読み返し、自戒を思い起こさせるために、この言葉を記しておく。…

所有という幻想

何かを手に入れよう、所有しようという欲望を満たすとすれば それはあくまで手段としてでしかない。有限の生の自覚にピントが合うに連れて 所有の幻想は脆くも崩れ去り、毎日の行いにこそ生きる価値があることに気付く。 お金を儲けるのもいい。素敵な洋服を…

私という呪縛

畢竟どこから私なのであろうか。もしや自由や自発性は存在しないのではなかろうか。意識や意思を脳の活動が生み出すとするならば、その活動すら何らかのプロセスを経て生み出されている故に、自由や自発性を担保する余地はなく、無限の連鎖反応が展開されて…

over the valley

完璧な世界の運行を前にした時、己の限界は如実に明らかとなる。 だが同時に、客体と対置される主体が抱えざるをえない孤立の不安は解消される。 不安の谷を越えると大平原が広がる。 そこである者は、なにかを足す必要も、また除く必要もないとし その場で…

ペトラとの距離

2300年前のペトラが遠いところにある場合、 今ここにある私らしきものも同じように遠いところにある。 今ここにある私らしきものが近しいものならば、 2300年前のペトラも同じく近いといえる。 2300年前のペトラが現代とは全く異なる 剣と魔法のファンタジー…

異質なもの馴染みのもの

世界遺産のペトラ遺跡がテレビで紹介されていた。 およそ2300年前の荘厳な建造物で、 岩を彫り抜いて建てられているために精密な構造計算を要する代物。 遥か古代の人々が高度な技術を擁していたことを窺わせる。 紙もペンも計算機もろくに無い時代 よくあん…