所有という幻想

 何かを手に入れよう、所有しようという欲望を満たすとすれば
それはあくまで手段としてでしかない。有限の生の自覚にピントが合うに連れて
所有の幻想は脆くも崩れ去り、毎日の行いにこそ生きる価値があることに気付く。


 お金を儲けるのもいい。素敵な洋服を買うのもいい。魅力的な異性や
惚れ惚れするような業績や社会的地位を手にするのもいい。
でもそれらは墓場まで持っていくことの出来る代物ではない。
手にしたという満足感で行いの燃料にしたらいい。


 行いは、連鎖によって無限に伝播していく。人には意識外の影響も
この宇宙は平然と織り込み続ける。意識が生まれる前から
我々が宇宙と呼んでいる何かの存在があったことを認めるならば当然であろう。


 死という転換点を迎えれば、人は人としての制約から抜けることになる。
どんなに我の強い人でも大悪党でも無限の世界に飲み込まれてしまう。
今ここを生きる私らしき小さなか弱い有限の生が遺せる生きた証のようなものがあるとすれば
無限の波にその命の振動をそっと乗せることくらいである。


 上品に生きよう。