自戒のために

「この一日の身命は、尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり」


 私は自らの行いを無邪気に過信する傾向がある。
ずっと気になっていた坂東玉三郎の「天が見ている」という言葉と併せて
折に触れて読み返し、自戒を思い起こさせるために、この言葉を記しておく。


 心と体という根源的な所有の幻想を諦め、己の有限性を認識するならば、
世界には流れしかないことを了解するに至る。


 そこでは、何らかの着想を得た時
「得た」ではなく「授かった」と表現するのだろう。


 そこでは、与り知らぬものに触れた時
感謝の念と畏敬の念で胸が満たされるのだろう。