2006-01-01から1年間の記事一覧

ニューヨークタイムズスクウェア

最近ニューヨークタイムズスクウェアのライブカメラを発見してけっこう頻繁に眺めていたのだけれど、先ほど繋いでみたら以前は空き地だった場所に変化があった。よく見てみると、新年を迎えるカウントダウンイベント用と思しき特設のセットとそれを組み上げ…

般若心経講話

鎌田茂雄著、般若心経講話を最近購入した。仏教用語等決して易しい本ではないので何度も何度も読み返す。 わかったような気がしては、そうでなかったと振り返り、日々鍛錬を繰り返す。すぐそこに見性はありそうな気がするのだ。だけれども届かない。気がつけ…

カレーライス

圧力鍋で作っためちゃめちゃ美味いカレーライスを先ほど食べた。この世界のありとあらゆるものは受身であるならば、私が食べていた目の前のカレーライスに深く感謝する。気の遠くなるような旅をして、今目の前に私の食すカレーライスとして在るからだ。 - 今…

流れの中の静止

犬の散歩を先ほどしてきた。歩道の植え込みを見ていて感じたことがあった。植え込みの草木のように一見静止しているように不変のように見えるようなものでも、流れの中での一時の姿だ。

合わせ酢

感じたことがあったので記しておく。 けむりんが見性の一例として示した合わせ酢の比喩は今までどうも納得できなかったが、4時に起床して雨がぱらつき始めたまだ暗い外の風景を眺めていたら閃いたことがあった。 私が日々目にしている、ありとあらゆる物や現…

私は小児喘息に罹ったことがあり、それ以来体調が崩れると気管支喘息の症状が表れることがある。今朝も起きた時に息苦しさと喘息特有の呼吸音がして、喘息の症状が出ていることに気がついた。普段なら「苦しい苦しい、早く楽になれ」と心中で唱え願って寝て…

今日は病院に行ってきた。先日採血した血液検査の結果を聞きに近所の中規模の病院へ車でひとっ走り。大学病院で専門の先生の診断の下、再検査した方が良いかもと告げられる。廊下で紹介状が書き上がるのを待っていると、目の前を寝たきりの小児がベッドに乗…

昨日は激しい頭痛に襲われ一日中ベッドでグッタリしていた。あまり頭痛はしないほうなのだけれど、今まで20年以上生きてきた中で最大級の頭痛だった。三蔵法師の呪文で金の輪が孫悟空の頭をギリギリ締め付けるように、頭痛の波が襲ってくると私は悶絶した。…

自我からの開放

今この瞬間、身体はもとより思考すらドミノ倒しの先端であることに気がつく。一切の所有を諦め、無常を受け入れ、固定的な自我からの開放を受け取る。

東の都に帰ってきたぜこの野郎!

田舎で見性に関して感じたことを書く。 人の視野は驚くほど狭い。生物としての能力の限界もあるけれども、それよりも思い込みによる視野の欠損が著しい。目の前で走っている自動車や目の前で喋っている人、目の前で歩いている犬を見るときにどう感じているか…

南の島へ

週明けに南の島へバコーンスに行くことにした。親の実家に帰省するってことだけども。動植物をはじめとした自然が数多く残っており、東京とはまるで違う環境。禅的見性への手がかりが掴めたらいいと思いつつ満喫する予定。

クラシック音楽の白眉ってどこだろうね

ここのところネットにアクセスできず。そのため数日前の出来事に関するエントリーになってしまうので日記とは呼べないけれども、書きたいことがあるので気にせず力強く送信します。NHK教育の芸術劇場で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマー・フィルハ…

ワールドカップ閉幕 今回の試合球は変化しやすいボール

球技は人をエキサイトさせる。それはなぜだろう。ワールドカップの試合中継を眺めていると、スタジアムにいるほぼ全員が直径約22センチ程のボールを中心として喜怒哀楽様々な表情を見せているのがわかる。ボールがあるラインを超えれば落胆し、ボールがある…

けむりんへのお詫び

blogを書くきっかけを与えてくれたのが標題のけむりんという男。彼の世界観を記したけむりんblogのエントリーにびっくりするほど共鳴した俺は、そのエントリーのコメント欄を通じて彼からいくつものヒントを貰ったし助けてもらった。だけれども、一時期嫉妬…

すべての道はローマに通ず

すべての道はローマに通ずということは、ローマはすべての道に通じているということの裏返し。 世界全体を凝縮したものでひとつの帰結が一杯のお茶だとすれば、 一杯のお茶は世界全体へ限りない影響を与えていることになる。

自分の名前

現代社会で人は自分の名前を自分自身として活動している。自分は○○△△であり、○○△△である自分は□□に所属していて 年齢は○○であり・・・・元来そんな区切りどこにもないことを忘れがち。

スポンジは徹底的にスポンジ

お風呂場を掃除している時にふと気がついたことがある。それはスポンジはひたすらスポンジでいるということ。 原材料からスポンジの型に成型されて以来、このスポンジはスポンジとして存在し、今日では我が家のお風呂場で出番のない時はひたすらに鎮座してい…