クラシック音楽の白眉ってどこだろうね

ここのところネットにアクセスできず。そのため数日前の出来事に関するエントリーになってしまうので日記とは呼べないけれども、書きたいことがあるので気にせず力強く送信します。NHK教育の芸術劇場で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団演奏会の演奏でベートーベンの楽曲を放映していた。俺はバロック名曲集のCDとモーツァルトのCDをそれぞれ一枚ずつ持ってるくらいでクラシックに関する知識など皆無に等しいんだけれど、時代を超えて現在もなお愛されるクラシック音楽の素晴らしさって一体どこにあるの?というモヤモヤ感を打ち砕くべく、機会があればちょくちょくクラシック音楽に触れるようにしている。それでこの日もたまたまこの演奏が放映されていたので見てみることにしたってわけ。眠かったので夢うつつ、うつらうつらしながら聞いてたらはっと気がついた。クラシック音楽の白眉はハーモニーの妙にあるのではないかと。表現自体はありきたりになってしまうけども、個人的に実感してその通りだと思った。異なる楽器や異なるメロディがひとつに絡まっていったり離れていったり、その様にはエロティックな魅力さえあるんです。エロ好きなのにこの絡み合いになぜ今まで気がつかなかったのか不思議に思ったけれど、それは流れを無視して聞いていたからという点に尽きるだろうと思う。バイオリンの音がメインに来ればバイオリンに、トランペットの音が来ればトランペットに、打楽器の音が響けば打楽器に注意が向いてしまい、ポイントポイントでつまみ食いするような聞き方をしていたわけです。例えれば苺の乗ったショートケーキを食べる時に苺だけつまんで食べたり、生クリームだけすくって口に運んだり、スポンジの間に挟まっている部分だけ食べたりするようなもの。まず上品ではないし、ショートケーキの味わい方としても好ましくない。苺と生クリームとスポンジ、それぞれ独自の味や食感をもっておりそれだけ食べてももちろん美味しいが、ショートケーキという洋菓子はそれらが口の中でひとつになっていく過程が美味しい。別々に食べて胃の中でひとつにする、あるいは始めからミキサーにかけてドロドロにしてゴクゴク飲むのとは違うんです。それぞれ本分を保つ異なるものが、次第に重なり合いひとつになっていく過程が大事で美味しいんです。たとえが長くなったけれど、クラシック音楽もショートケーキと同じ。様々な楽器と様々なメロディがひとつになっていく絶頂へと駆け上る過程を楽しむためには、次々と切り替わるメインの音をぶつ切りに聞くという下品な聞き方ではなく、それぞれのパートが奏でているメロディのストリームを聞き落とさずに他のメロディとどう絡み合っていくかを鑑賞する。そこにクラシック音楽の気持ちよさがあるんではないかと思いました。