私という呪縛

 畢竟どこから私なのであろうか。もしや自由や自発性は存在しないのではなかろうか。意識や意思を脳の活動が生み出すとするならば、その活動すら何らかのプロセスを経て生み出されている故に、自由や自発性を担保する余地はなく、無限の連鎖反応が展開されているだけなのではないだろうか。


 密かに胸に秘めた想いのような、公にされない極めてプライベートな性質のものでもその連鎖から外れるものではなく、意識の内外の一切が不自由の真っ只中にあるのだろう。私も彼も犬も自動車も不自由なのだ。さらに追求すれば、何がどこに行こうが何をしようが、その反応の体系からは逃れられないのであって、本来ならば意識の内外すら区別する必要がなくなってくる。


 己の思想信条もクオリアも友人の冗談もグランドキャニオンの絶景も、日常気に入らない人物から到底容認できないような戦争までもすべてはひとつなのではないか。


追記予定