見性ってなんぞや

このblogを始めた理由のひとつは禅の見性とはなんぞやという探求であった。
只今の私の考えでは、学問的知識の多寡の関連性は薄い。


しかしだからといってそれを軽んじるわけでもない。
学問的知識を含め、つまらぬものなどあるわけがない。
偉人の残した数式も、名も知らぬ学者たちが残した観測記録も、彼ら一人一人自身も
日常で触れ合う全くの他人も、顔見知りも、親友も。
道端に生える雑草も、野良猫も。


自分というものは大事でかわいいものだ。
みんな私と全くイコールなのだから、親しく大切に思わぬわけが無い。
悪意に出会っても、それは自分なのだから、以前ほど傷つきもしない。
あらゆるものを愛でてゆきたい。


外側に出てみなければ、外側があることにさえ気がつかないという厄介な壁を顧みると
まださらに深化した景色があるのだろうなと思う。