コントラスト

 ありのままに見るには、むしろ思考に専心し精神的に引きこもり外部に背を向け、一度くらいは極度に自己循環する必要があるのかもしれない。考えに考え考え抜いてそれ以外なくなっていくような境地。何らかのきっかけでそこから脱出するときに、ありのままの世界の気配がわかる。山を抜けるトンネルが長いほど抜けた先の景観に驚くように、コントラストや落差が大きければその違いを強烈に照らし出すのではないか。
 また、ありのままに見るといっても感覚器官を通しているのだから、依然バイアスは残る。さらに日々の生活を送る上で、考えるべきときには考え、悲しいときには泣き、嬉しいときには大いに喜び、ありのままに見ることが必要であろう。
 自分で言うのもなんだが、なんだか余地というかのびしろはたくさんあるな。