苦しむ人へ

 今これを書いている私には、いつになるかどこのだれかも
わからないが、もしこれを読んでいるあなたが
肉体的に又は精神的に追い詰められ
命の際にあるほど苦しみ、半ばそれを諦めかけているなら
拙いものだがこの文章を読んで、今は苦しいとしか思えないであろう
生の意義を考えてみてほしい。


 自分が死ぬという事を肌で感じ、無力さや限界に打ちのめされた
あなたなら、あなたの意識や認識の外でも世界は運行していると
認めることが出来るのではなかろうか。今この瞬間も
名前も知らない街で名前も知らない誰かが生活している。
誰も知らないような森の奥深くで花が咲いている。
高山や海底、サバンナで動物が餌を求め彷徨っている。
そしてそれらの出来事が、身近な自分の生活と一続きの
同じ世界で起きている。


 かけがえのない私たちの日常と、
それら私たちが知らないことも知らないような
しかしそれぞれの当事者にとってはかけがえのない
未知の日常は、どうして同時に成立しているのだろうか。


 さらには日常だけでなく、
縄文時代鎌倉時代も江戸時代も平成もこれからの未来も
月も地球も太陽も火星も木星アンドロメダ銀河もその先も
砂粒も微生物も分子も素粒子も、別々の世界の出来事ではなく
同じ世界で展開されているのはどういうことなのだろうか。
これら全てを同じ世界で実現し、バランスし続けるものは
何なのだろうか。


 仏教で言えば空とか無とか言うものであろうか。
それが何であれ、それはあなたにも私にも貫通している。
逆にあなたや私がいるからこそ、それは成り立っている。
思っている以上に、あなたは世界に対して重大な意義を担っている。
自分の意識や認識の外側を認めることが出来れば、
その連なりの只中にあることが感ぜられるかもしれない。