自分のために書くとは

 自分のために書くとは、苦しい生をどう生き延びるのか苦闘するということでもある。主張のような文体で日記を綴ることもあるが、ほとんど自分への鼓舞に近い。勝手な感情ながら自分であることの苦しさを抱える人には共感を抱くし、一人で立ち向かう姿に自分を映し見て応援したくなる。
 こういったことはある程度距離が離れている関係のほうが、すっと伝わるのかもしれない。親密な二人なら繭を作って孤独から目を逸らしてしまう。
 これを読む名も知らぬあなたが、生きることの苦しさを抱えるのなら、南直哉の言うように生き残るテクニックをどこからか見出していただければ幸いだ。最後の手段に走る前に試してみることはたくさんある。先人達が苦闘し積み上げてきたものもある。
 どうしたって私の頭のスペックの範囲内だから、誤謬もおそらくたくさんあるが、社会的な名利に繋がらないプライベートなこのブログは、生き残るための試行を誠実に記している。
 まず自分で考えること。前提や所与を疑い、自分すら疑ってみること。何かにすがってもそれは仮初にすぎぬ。何もかもわからないのだ。現実すらわからない。そこからどう歩いていくか。


 私は生き延びるつもりだ。まず私のためにこれを書いている。そしてネットワークに漂う中で、このように今あなたの目に触れ、一人で苦悩するあなたの役にほんの少しでもたつのなら、十分その意義は達成されたことになる。