荒野の人と監獄の住人


滋味のある言葉というのがある。
受け手である私の解釈だが、
そういった言葉の数々は諦観や情熱の入り混じったような独特の色をしている。


運命を引き受けて超人のように歩む人々。
shrinkとは正反対のexpandしていくような生き方。
そこから紡ぎ出される言葉特有の色なのかもしれない。


私にとって目覚めを促す色と言ってもいい。
公的なものでも私的なものでも、主にそこでの人間関係が
心地のよいものであるほど、私はごまかしそうになるからだ。
自分を引き受けることを忘れ安眠してしまいたくなる。


だが一見甘美な閉じた世界の先にあるのは破局である。


誘惑や幻想を振り払い
身も蓋も無く残酷なオープンエンドの世界を生きていくためには
自分で学び自分で鍛え自分で歩んでいかなければならない。
自分自身を最高の支持者とし、最大の批判者とせねばならない。


苦手などといっている場合ではない。
オープンエンドな世界で
あらゆる境界を乗り越え
あらゆるフィールドを横断するためには
あらゆる物事に通暁していなくてはならない。


もしそれが嫌なら、
この場に立ち止まり明日に怯えるしかない。
塀を築き城を建てそこに引きこもるしかない。
内部であれ外部であれ異質な者を排斥し、
塀の中の安寧を保つことに腐心しなければならない。
まさしく監獄である。


私は監獄から荒野に出ることを選ぶ。
排他的で攻撃的な監獄の住人に
うんざりすることもあるが、かえってそれは
荒野にいることの必要性を再認識させてくれる。


誰かが監獄から出てくることを心待ちにしながらも、
荒野を歩いていく。


荒野を踏みしめるのは一人。
そうであるからこそ、
果敢にオープンエンドな世界に生きる人を見たとき
心を動かされるのだろう。
微かな交信が出来たとき、無上の喜びを感じるのだろう。


そうと決めれば
漠然としている時間は無かったのだった。