源泉

 私という苦しみは喜びに転化しうるのではないか。茂木健一郎 クオリア日記: スプマンテの泡に溶けてという優しい気配のエントリーに触れた感触を寝床で探っているうちに飛び起きてこれを書いている。
 この世をどうみるかというときに、私を離れてみることはできない。「私」はバイアスの源泉でもあり秩序の源泉でもある。どうしたってありのままには到達し得ない。必然的に生きるとは、出会い更新を重ねる或いは構築と分解そしてまた構築を繰り返し世界観を改めていく行為になる。全宇宙は小さな脳内に展開されているという認識は、当たり前といえばそうだけれど、ほんとうにそのとおりだ。
 私に見えているものは真理などではない。そしてそのことは絶望ではなく、救いなのだ。私を消すには消さなくてよい。エキサイティングな深みの実感にワクワクとする。私はまだ何も見えていないのだ。それがとても嬉しい。