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 ISDNADSLが普及する以前に、ラストワンマイルについて新聞記事で読んだことがあった。今ではそれも徐々に解消されネットワークの網が世界中に行渡るかの勢いだ。
 しかし今度はネットワークに接続された地球の裏側よりも、接続されていない数メートル、数十センチの遠さを感じさせられるようになった。しかもそういったネットワークに接続されていない領域のほうが、接続されたノードよりも広大に拡がっている。(自分にとってはアクセスが容易でも他の人には困難なもの、そういったものをネットワークに繋げる運動なんてあってもいいんじゃなかろうか。)
 個人の体験というのもその領域のひとつだろう。振り返ると、私にとって読ませる文章にはその人の体験が主軸として織り込まれていた。対して論理が主役の文章は読むのも書くのも苦しい。
 こんなことを思いついたのは、今日官僚出身者のある寄稿を新聞で読んだのがきっかけだった。実際の体験を基にして書かれたもので、興味深い内容のコラムだった。
 さっそくネットで筆者の評判を調べてみたところ、体験談からの話は良いけど理論ベースの話はちょっと、というような評だった。
 私もなかなかこれという文章が出来上がらないのでわかってはいるのだが、体験をもっと強く織り込む必要性を感じさせられる。人前では吐露出来ないような過激な本音もバリバリ書けるということでハンドルネームの匿名で綴っているが、そっちのほうはあまり匿名だとか実名だとか関係ないような気がしている。
 差しさわりのない範囲で、無知とか運命とかに格闘するナマの領域を、徐々にネットワークに投じていきたい。大袈裟か。