協奏

 誰かとコミュニケーションするとき、相手をいろいろな角度から突いて、多様な音色を引き出せる人には、教養というか智恵のようなものを感じる。相手が意識的に提示するものだけでなく、意図せず漂わせたり秘めている音色にまで洞察の眼差しを向け、至る所で互恵を生み出す。そういった深い懐を培うには、博覧強記とはいかないまでも、相応の意識的な鍛錬を要するのだろう。人や書物と出会い、日々の体験を見つめ、無知を踏み均していくことでそれを培う。
 存在そのものの代替不可能性というか強いユニーク性みたいなものを、このごろよく感じる。似ているものを纏めてしまうのなら、ひとえに私の分解能不足であるのだろうな。