南北線

 南北線に揺られる。席に座ってはぁっと溜息をひとつついてしまう。
 肉体の疲れが緩やかに意識を侵食していたのだ。視野を狭め、思考を硬直的にし、気分を沈んだものにする靄は、知らず知らずのうちに私を覆う。
 その霧の中では静的な現実が生成される。AはAであり、せいぜいA´かA´´程度の変化しかない。解決不能な矛盾や苦悩が次々と生まれ、生は色褪せていく。
 だが、直面した難題が切実であればあるほど、その只中を見つることで、霧を晴らすこともできる。
 時の流れと表象される動的な現実こそ救いになる。ンゴロンゴロで逞しく生きる動物達も、東京タワーのお膝元で書類に向かう私も、それこそンゴロンゴロや東京タワーも、動的で運動でありエネルギーであり流動的なのだ。たとえ形而上的な概念や、直接アクセスできないイデアがあるのだとしても、それは人の思考や万物に作用している点で、具象と変わりがない。
 そういう意味でこの文章もエネルギーであり運動である。どこまで滑らかに滑りたい。