背筋が伸びるまでの背景

 午後9時前の銀座晴海通り。車窓から見ると色とりどりの光が煌めき、宝石がちりばめられた様な街並みである。その中を数多くの人が行き交っている。
 その大海に自分が投げ込まれ、生きていることを思う。あんなにもたくさん、己の生を抱えて生きている人間がいるのだ。堅く絶対的だった自分の生が、じんわりと相対化されてくる。差異と統合が同義のような感覚。
 大海の小さな水泡とも、花畑に咲く一輪の小花ともつかないその感覚で、流れゆく景色を眺める。高額なテナント料に見合うリターンを得るべく、手抜かりのない店構えのブランド店。足元から頭の先までドレスアップされ、背筋を伸ばしゆったり歩く女性。好条件に恵まれたことも一因なのだろう。与えられた条件の下に、パフォーマンスを最大限引き出そうとしているように見える。
 ただそのパフォーマンスの引き出し方は、単一の物差しでどちらが上か競争しているという風ではない。他の追随を許さない絶対的に美しい花というのがないように、絶対的正解の店舗や人間などありはしないからだろう。与えられた花としての運命を受け入れ、美しく咲くことにどうすればよいか頭を絞っているような。
 そこで空想をする。この世界が、自分の運命を受け入れ、美しく生きることに頭を悩ます人々ばかりだったら、どんなに素敵な光景が広がるのだろう。そして、その実現に寄与するように、今日から私は生きられるのか。
 繰り返しになるが与えられた運命を受け入れることが、最初のステップになるだろう。諦めとも開き直りとも現実の直視ともいえる底への着地で、根拠なき自信を引き出す。そしてその根拠なき自信で実績を作ることができれば、その実績でさらなる自信の源泉とする。良い循環の実現。
 背筋が自然と伸び、自分が好きで、他人も尊重するような、運命を受け入れ美しく生きるような人になれれば。
 日常の些事がとても大事な意味をもってくるので、まずは掃除をする。