一日分を生きる

啓発書の古典「道は開ける」にも類似の記述があった。問題は一気に解決しない。今日一日分だけを生き、一歩だけ歩みを進める。


生きていること自体、苦しみなのだから、自ずから愉しくする。
皆、苦行を運命付けられているのだから、仲間なのだ。
学習された無力感のスパイラルから逃れる。


素晴らしいあとがきに、心が軽くなる。
茂木健一郎 クオリア日記: 脳で旅する日本のクオリア


死の運命を直視する人は、
自分という存在が外部に開かれているという認識に至らざるをえないのだろう。


肉体に幽閉されながらも、鉄格子からのぞく空をみる。
解放は誰にも約束されている。


いや、もしかすると最初から幽閉などされていないのかもしれない。