悪夢から覚めるために

気になることがあった。
それは先日見た夢で、赤や黄色いのゲル状の洪水で街が次々と飲まれていくもの。
テレビで生中継され、窓の外にも同じような光景が広がる。


まことに頓珍漢な光景なので、私は夢の中で夢かと疑うが、
リアルに見えているのだから夢ではないと思い直してしまう。


結局は再度夢だと気がつき目が覚めるのだが、
現実だと思い込んでしまった時の感触は拭い難く心に残った。
人間に宿命付けられた脆弱性のような。


そんな折、海外に住み働く人の記すブログを読んでいると
日本社会の特異性が指摘されていた。


日本から一歩も出たことのない田舎ものの私には
日本が普通であり基準であり、
それが外から見ていかに頓珍漢でも
リアルな唯一の現実であった。


まるであの夢と同じ。


思い返してみれば、私にとって魅力的な内容の文章と
その背後に透けて見える人間的な生き方をしていると思しき人々は
ほぼ例外なく英語を使いこなし、海外での暮らしや仕事の経験がある。


悪夢から覚めるには
そちらに光がありそうな予感がする。


もちろんこの認識すらも夢の思い込みと同型なのかもしれない。


なので、ここから先は投機になる。
逃避というニュアンスを含みながらも
体ごとぶつかって挑戦しなければ、道は開けそうに無い。


お気楽方面から考えても
インターネットのコンテンツで
日本語圏よりも
英語圏のほうが面白いものがごろごろしてるから、
モチベーションは持続できそう。


日本という普通にしがみつかないで生きられたら。
圧倒的存在だった「私」が相対化され、
それに囚われにくくなりそうな。


はやくでかい顔をして生きたい!
というわけで、英語で生きる道を探る。